半農半失業
野菜作りを本格的に始めるようになってから、物事をより長い目で、広い視野をもって眺めることができるようになった。もう四十も越えたので自然とそうもなろうが、数ヶ月間で繰り広げられる植物や虫達の一生を観察し続けていることは多分に影響しているように思う。
始めは調子良く育っていた作物が途中でダメになってしまったり、その反対に半ば諦めていたものがよく育ったりということがよくある。それを余計な手出しを極力しないよう努めて見守っているとまた興味深い結果を得る。自分が食べたい野菜達だからかなりハラハラするのだが。
先日、なかなか育たないほうれん草の葉を少しちぎって食べてみて、飛び上がるほど驚いた。りんご!!??と思うほど甘い味がするのだ。自然農の野菜が美味しいことは分かっていたが、これには驚いた。生育が遅いという点を私がネガティブに捉えていただけであり、さらに言えばゆっくり育ったことがその甘味を生んだかもしれないのだ。
余った苗を畑の端に植えてただほったらかしていた葱も非常に美味だった。手をかけて育てた方の葱が無くなったので試しに食べてみたのだ。これも私が勝手にあっちは不味だろうと思っていただけだ。葱の方は自然に細身ながらも健全に育っていたのだ。
四十数年の自分のこれまでを振り返っても、あの時のアレがここに繋がったのか、と思える事柄がいくつもある。そう思うと日々出くわす様々な出来事も、いちいちと良し悪しと区別して一喜一憂せずともよいのではないか。悪い言い方をすれば年を取っていろいろとどうでもよくなったとも言えるが、目先の事に囚われずその後ろにある事象の本質を捉えようとすることが徐々にできるようになった、平たく言うと目が開いてきた、とも言えるのではないか。
ここで音楽の話に急に飛ぶがこのことは演奏の向上にも繋がる。耳や目、身体の感覚を研ぎ澄ませていくと、自分の演奏の欠点に気付き、修正することができる。それは突き詰めると自己の人格上での何らかである。ここでさらに話は飛ぶのである。楽器の習得は人格の完成と密に関係する。楽器ではなくとも一事を突き詰めるということはそういうことではないか。これにもより広く長期に渡るものの見方が必要である。
あれ。飛んだはずの話が元に戻っている。今回はいつもにましてまとまりの無い私の文章も、ここのところお仕事も無い私の状況も、どこかでつじつまが合うようにできているのだ。しっかりと目を開けて、生きておればいいのだ。物事に囚われず、日々の繰り返しに流されず。自分でしてきた選択の結果の「今」なのだから、道さえ外さなければうまくいくだろう。
いや、すでにうまくいっているよ。
なんで最後に安っぽいエッセイスト風なのかもよくわからんが…。
とりあえずおつもみ!!もみもみ!!!!






