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半農半音楽

Coupレーベル渓

渓(ケイ):COUP(クー)レーベルをグラフィックデザイナー高橋佳介(株式会社クーグート)と’99年に立ち上げ、以来制作を担当する。自身もギタリストとしてEtt(エット)のリーダーを務める傍ら多ジャンルに渡る演奏活動と各地でのツアーを行う。 '08年には通算4枚目のソロアルバムTamatsi Maxa Yuawi (タマツィ・マラ・ユアウィ)を発表した。CM音楽などの作曲や、ギター講師も務める。
2008/02/04

それでもやっぱり音楽は楽しい…のか。…のだ!!

某国の某バンドとイベントで共演した。ダンスと一体である彼らの音楽とパフォーマンスはそれはもう底抜けに明るく、聴衆をノリノリアゲアゲでずっと踊らせていた。それが縁となり、その後の彼らのライブにメンバーとして参加してくれとプロモーターに頼まれた。ギタリストが金銭的にかスケジュール的にか、なんらかの理由で来日できなかったようなのだ。
 
打ち合わせと音合わせのために滞在中の彼らを訪ねたが、オフステージの彼らの素顔とツアー中の生活に触れて僕はショックを受けた。
 
とある国のある民族のバンドという売り文句だったが、実際その民族のメンバーはバンドリーダーを含む数名のようで、あとは他国から流れてきた他民族らしかった。リーダーと日本人マネージャーは他メンバーを強権的ともいえるやり方で支配しており、メンバーは彼らが居る前では外部の人間である僕と話すことにさえナイーブになっているようだった。
 
プライベートの彼らはとてもあの明るく一体感のあるパフォーマンスをしていたバンドに見えなかった。
 
メンバーとは別に一人だけホテルに滞在するリーダーは、打ち合わせ場所にやってきて、僕に彼の(バンドの、という言い方ではなかった)音楽について熱く語った。その間メンバーは一言も発せずにうつむいていた。
 
結局そのリーダーは自分の音楽を僕にも押し付けただけであった。こちらの提案は全く理解しないようで、僕は彼らの民族の音楽について自力で研究した。それについては問題なかった。僕はかねてから彼らの住む大陸の音楽が大好きだったので、よい機会だと思い、彼らの音楽に自分を合わせることにした。
 
僕は共同生活を送るバンドメンバーのもとを幾度か訪れ、彼らの音楽について学ぼうとした。日本人にとっては複雑怪奇なうえに楽譜もないため、口頭で教わりたかったのだ。英語はままならない彼らだったが、僕が好きな彼らの国周辺の音楽のことなどについて話したりした。1970年前後のあるバンドについて聞くと、その人達はおそらく全員内戦で死んだ、という答えが返ってきた。来日中の彼らもやはり内戦や貧困を逃れ各地から流れてきてリーダーに雇われたミュージシャン達だった。才能の無いミュージシャンである僕には彼らの音楽はとても難しかったので、何時間でも何日でも彼らと過ごしてその音楽を体に叩き込みたかった。が、ある日メンバーの一人が帰りがけの僕を追いかけてきて言った。

「リーダーとマネージャーを通さずに直接やりとりすることは禁じられている。これはオレのソロのCDだ、貸すから聴いてくれ。この事は内緒だ。返す時も見られないように返してくれ。すまない。オレは自分のバンドでまた日本にやって来たい。」
 
僕はとてもやり切れない気持ちになった。このことについては背景にそれこそここにはとても書ききれない問題が絡んでいる。
音楽だけの問題でなく、今の西欧中心の世界の中で苦渋の歴史を歩んできた彼らの母国が抱える全ての問題の現れの一端であるように思った。彼らは日本人プロモーター達の呼びかけによってとても素晴らしく聞こえる大義名分を持ってツアーしていただけに余計にやるせなくなった。リーダーも日本人マネージャーもおそらく悪人というわけではないのだ。僕がバンドメンバー側に感傷的な気分で肩入れして立ち入る問題ではないのかもしれない。しかし「どうしてそうなのか!」と心の中で叫ばずにはいられないような現実があった。
 
本番当日彼らは変わらず笑顔で歌い踊っていた。僕も楽しんだ。音楽のもたらす喜びは現代社会でいうところの喜びのほぼ全てを上回る。いったんステージを降りたらそこには違う現実が待ち構えているのだろうが、ステージ上でこそ彼らは本当に笑っていられたのだろう。そしてそれは音楽の力によるものである。

 

(漫画は本文とは関係なく次回へ続く)

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「気功コミック 十八式」