2009/10/19
半農半音楽2
畑の一部を、実験的に手付かずの状態のままにしている。他の部分は畝(うね)を作って作物を栽培しやすいようにしているが、その一角には余った種をバラバラッと蒔くだけにしている。今年はキュウリやゴ−ヤ、青紫蘇やオクラがそこで沢山できた。
畑にした方の場所で大根が虫に食われてどうしようもなかった時、その放置栽培の一角で雑草の中で育っている大根を見付けた。全く虫に食われぬ美しい姿だった。
人間の、しかも農事をかじった程度の者の知恵などではこんなものなのだ。私の働きは自然の働きに遠く及ばない、もしくは私はまだまだ自然に沿えていない。
この雑草地の大根が強く美しく育った理由は科学的にある程度分析できるだろう。だがそれは自然の神秘の足跡を後から追う程度のものであり、しかも人間には再現不可能な程複雑で多岐に渡る条件と因果関係の連なりがもたらしたことを思い知るのが関の山だろう。何故ならそれは結局のところ生命の謎に行き当たるからだ。我々の知性とその賜物である科学はこの問題を一度も解き明かしたことはない。そしてこれからも絶対に無い。
脳科学があなたの恋の悩みを、日々の苦悶を、我が子への慈しみを、解決または説明し切ることは無い。それは今現在あなたの内にのみあるもので、決して形にはできないし誰のものとも全く共通ではない。我々はあらゆる科学的説明を納得できるほど知的ではあるが、それはそもそも科学が我々自身が作り出したものであり、我々の力が及ぶ範囲内の出来事にしか及ばないからだ。
だが科学や経済偏重のこの時代にも人の本性というのは失われてはいない。たとえ薄っぺらい表現であろうとも、それが経済的利益というものと結託しているとしても、依然として人々は愛と平和を口にし、芸術を求め人生の充実を望んでいる。それらは全て目には見えないものである。
この世界の病状は表面ではもはや末期的とも言える。それを充分理解しつつそこから脱しようとしてもがいている人は少なくない。だが病いはあなたの内を芯まで害うことは決してない。目をつむった時に見るものは何だ。
畑にした方の場所で大根が虫に食われてどうしようもなかった時、その放置栽培の一角で雑草の中で育っている大根を見付けた。全く虫に食われぬ美しい姿だった。
人間の、しかも農事をかじった程度の者の知恵などではこんなものなのだ。私の働きは自然の働きに遠く及ばない、もしくは私はまだまだ自然に沿えていない。
この雑草地の大根が強く美しく育った理由は科学的にある程度分析できるだろう。だがそれは自然の神秘の足跡を後から追う程度のものであり、しかも人間には再現不可能な程複雑で多岐に渡る条件と因果関係の連なりがもたらしたことを思い知るのが関の山だろう。何故ならそれは結局のところ生命の謎に行き当たるからだ。我々の知性とその賜物である科学はこの問題を一度も解き明かしたことはない。そしてこれからも絶対に無い。
脳科学があなたの恋の悩みを、日々の苦悶を、我が子への慈しみを、解決または説明し切ることは無い。それは今現在あなたの内にのみあるもので、決して形にはできないし誰のものとも全く共通ではない。我々はあらゆる科学的説明を納得できるほど知的ではあるが、それはそもそも科学が我々自身が作り出したものであり、我々の力が及ぶ範囲内の出来事にしか及ばないからだ。
だが科学や経済偏重のこの時代にも人の本性というのは失われてはいない。たとえ薄っぺらい表現であろうとも、それが経済的利益というものと結託しているとしても、依然として人々は愛と平和を口にし、芸術を求め人生の充実を望んでいる。それらは全て目には見えないものである。
この世界の病状は表面ではもはや末期的とも言える。それを充分理解しつつそこから脱しようとしてもがいている人は少なくない。だが病いはあなたの内を芯まで害うことは決してない。目をつむった時に見るものは何だ。





