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半農半音楽

Coupレーベル渓

渓(ケイ):COUP(クー)レーベルをグラフィックデザイナー高橋佳介(株式会社クーグート)と’99年に立ち上げ、以来制作を担当する。自身もギタリストとしてEtt(エット)のリーダーを務める傍ら多ジャンルに渡る演奏活動と各地でのツアーを行う。 '08年には通算4枚目のソロアルバムTamatsi Maxa Yuawi (タマツィ・マラ・ユアウィ)を発表した。CM音楽などの作曲や、ギター講師も務める。
2009/10/12

半農半音楽

 六月半ばから開墾を始めた土地だが今までで100坪程が畑になった。数回友人の手助けが有ったがほぼ独りで手作業で行った。現在育てている野菜は以下。

ネギ ハバネロ 黒豆 大豆 ローズマリー 人参 オクラ ブロッコリー モロヘイヤ 胡瓜 青紫蘇 大根 ジャガ芋 こぶみかん(果樹)ゴ−ヤ カブ 赤カブ パセリ コリアンダー 牛蒡 タアツァイ ほうれん草 ニンニク 玉葱 茄子 紫玉葱 白菜 セロリ



 家庭菜園の域を出ないがこれらを完全無農薬無施肥(無肥料)で育てている。そして畑は耕さないし虫や雑草も敵としない、いわゆる(とはいっても一般には知られていない言葉だが)自然農という栽培方法によっている。
 農業機械を使わないと作業が大変なのではないか、地面を耕さないと、雑草を取らないと野菜は育たないのではないか。あるいは、農薬を使わないと虫食いがひどいのではないか、肥料を使わないと出来が悪いのではないか、こんな風に疑問を抱く方も多いだろう。そんなやり方でできるわけがないという農業関係者も多いだろう。
 しかし、たった三ヶ月ほどしか取り組んでいないこの畑でも、野菜は一家族で食べる分をゆうに越える量ができている。見た目もスーパーに並ぶものとそう変わらず、味はそういう野菜とは別ものとも言えるほど美味い。
 そもそも、上に挙げたような疑問はどこから湧いてきたのだろうか。あなたが実際に野菜を育てて感じたことだろうか。それは大量生産/消費システムの中でいつのまにか植え付けられた先入観ではないだろうか。
 たしかに、この歪んだシステム内に居るとあたかもそれが真実のように勘違いしてしまうのは仕方ないことだ。幸いに現時点では私の農事は私と私の周囲だけのためのものなので、ただ自然の営みに任せていられる。栽培する側にも自然でいることが求められ、それなりの作業も有るが、決して苦ではないし作業量はむしろ少ない。人間の欲望にのみに沿った成果を求めることがおそらく農業を苦しいものにし、農業従事者を苦しめてきたのだろう。そしてそこには権力者の意図が絡んでいる。これは今に始まったことではなく、人間社会にいつしか定着化した歪みであり、本来の人間社会の在り方ではないと思う。
 私のように5年程度かじったような者ではなく、長い間自然農に取り組み、それを生業としている方もある。そうしてできた最高に美味い野菜を食べると、我々が普段スーパーで買う野菜は、それらを流通させるのに使うエネルギーは、それらを作る苦労は、何のためなのだろうかと思う。我々が大型スーパーで農薬をかけられた品質の均一な野菜を買い求め、それを食し、毎日必死で働いている姿をあたかもブロイラ−のように眺めている者が居はしまいか。愛する者のため、家庭のため、社会の、お国のためと、労働そのものの本質には目を向けないようにもっともらしい言葉で納得させられていないか、自らをごまかしてはいないか。我々の労働は真に私達の幸福のためか。だとすると我々の幸福は経済というものに全く縛られている。これは我々が望んだあり方か。
 これは負け犬の遠吠えか、言っても仕方が無いことか。近頃の言い草であるところの勝ち組負け組、どちらに属する者もこの社会の仕組みと人生の在り方はヒトの本性によってできていると思うか。
 それがヒトの本性というなら生まれたばかりの赤子が勝ち負けなど考えているか。本性とは生来備わっている性質のことではないか。赤子が周囲にもたらす輝きこそ我々の本性ではないか。赤子に対した時我々の内に起こるものこそ我々の本性ではないか。

 ないかないかとやかましい上に話がそれたか。

 畑に立つと、働くということについて考えさせられる。そしてそれは音楽にも関わる問題である。どちらも本来は同胞の幸福のために在るべきもので、また悦びをもって為されるものである。それが人間本来の自然な姿、働きではなかろうか。

というわけで音楽コラムであるここに来週も続きを書く。