スーパー・ナゴヤ・ミー
冷し中華が食いたい。街に出たが朝11時前という中途半端な時間帯。
そこで入ったのがス〇〇ヤである。メニューにあったのは冷やしラ−メンなのだが、店を探し回るのに疲れていたので妥協することにした。
かれこれ10年程の名古屋県暮らしの中でス〇〇ヤに入ったのは確か四度め。少年時代の土曜の昼食や部活帰りの間食がここのラ−メンやソフトクリームだったという思い出が無い県外人の私にとっては、ここの味は????である。急いで何か食べたい時に半ば仕方なく入った記憶しかない。
「ス〇〇ヤの味付けの99パーセントは、『思い出』である」
店員が名古屋弁のキツイおばちゃんと男子学生バイトもしくはおじさん、という組み合わせであるのも、きっと各人の思い出に働きかけているのだ。おそらく昔からどこの店でも店員はその組み合わせであるため、客一人一人が昔通った店舗と錯覚し、ノスタルジアを引き起こす仕掛けになっているにちがいない!!その時点で客は様々な思い出に浸り、食べ物の味はどうでもよくなっているのではないか!?
客席には社会人の姿も多い。しかし何故かここではスーツ姿のサラリーマンも部活帰りの高校生にしか見えない。彼らの心がその頃に戻っているからであろう。皆が皆そういうオ−ラを出している!
「ス〇〇ヤは一種のタイムマシンである」
ここでは皆が、俺達この味で育ったよね、という顔をしている。そしておばちゃん店員はマニュアルになど頼らない、親しみやすくかつぶっきらぼうな態度で見守ってくれる。そういう微妙かつ名古屋県人にとっては絶妙な接客のマニュアルがス〇〇ヤには有るのか、あるいはそういうおばちゃんばかり採用しているのか、はたまた全員「名古屋のオカン型アンドロイド」なのかは分からない。だが彼女達は客の懐古の念を確実に増長させている。
冷やしラ−メンを食べながらいろいろと観察するにつれ、私はだんだんス〇〇ヤが好きになってきた。ファストフ−ド店独特の空虚さ、悲壮感がここには無い。ここではみんなが内心笑顔である。辛い社会生活の悩みなど無かったあの頃に戻れる喜びのムードが店に溢れている。そこが並み居るファストフ−ド店群がス〇〇ヤに敵わない点である。
そしてもうひとつ、名古屋県人の心を捉えて離さない点がス〇〇ヤにはある。
来週へ続く。






