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半農半音楽

Coupレーベル渓

渓(ケイ):COUP(クー)レーベルをグラフィックデザイナー高橋佳介(株式会社クーグート)と’99年に立ち上げ、以来制作を担当する。自身もギタリストとしてEtt(エット)のリーダーを務める傍ら多ジャンルに渡る演奏活動と各地でのツアーを行う。 '08年には通算4枚目のソロアルバムTamatsi Maxa Yuawi (タマツィ・マラ・ユアウィ)を発表した。CM音楽などの作曲や、ギター講師も務める。
2009/06/29

101回ワンちゃん

いい歌を作るにはこうしてだらだらベラベラと言葉を漏らさず自己を磨き、人の短を言わず自ら足るを知ることが必要だ。が、なんともくだらない歌が電波やらなんやらに乗ってこうも撒き散らかされる状況だと何か言いたくなる。
我々日本人は古来「うた」というものを非常に大切にしていた。男女の仲が相手の歌の出来ひとつで左右される時代があり、しかもそれらの歌の内容が高度に芸術的であったというのは他の文化と比べて珍しい事だそうだ。
芸術的というがそもそも芸術とは何だろう。私は芸術とは自然の写しだと考える。これは色んな人が色んな言葉で述べていて、私も同感だということだ。そして自然というのは人間も、その内面の機微も含む。自然の中での人間という意味の上で、人間の心の動きも自然と呼べるだろう。人間の自然、とも言えるだろう。
話を元に戻すがそういう観点で昨今の歌謡曲の歌詞を見るとどうだろう。たしかにラブソングの類いは人の心の内を歌ったものだろうが、そこには自然の姿は無い。

彼からメ-ルが来たの〜ウレシイわ〜ウォウウォウ花が咲いてる〜明日もダイジョウブゥ仕事も学校も辛くない〜♪
ではホントどうしようもないのである。それこそメ-ルでやっとけよ、みたいな歌詞ばっかりだ。そこには自然を忘れた現代人のエゴしかない。人間本位、自分本位では芸術に必要な普遍性は表現し得ない。
話がもう一度逸れるが私は自己の内面のドロドロの表出に過ぎないものや、単なる癖とかわがままを個性としているようなア−ティストに多くの人が心酔してるのも苦々しい思いで見ている。そこに有るのもエゴである。強烈な人格に憧れる気持ちは分からないではないが。
再度元へ。かくのごとく言えども歌は世につれ世は歌につれ、なのだから昨今の歌は今の世界にマッチしたものなのだろう。こういう状況がおそらく転換期を迎えている今の人間(社会)の自然という見方もできるかもしれない。 私はこういう批判をする毎に自分の男を落とすことは分かっている。冒頭で書いたように黙っているのが良いということは分かってはいるのだがまだそれほど人間が出来ていない。

四の五の言ってないでいい歌作らなきゃあね。