スナック宇宙の終わり
さて続きだ。実は先週から続くと言っておいて悩んでいる。
スナック宇宙シリーズで書いたことが片手落ちだということは認識している。私ごときの書きなぐりコラムで論じるにはあまりに重大な問題が含まれているのだが、ある程度字数制限があることもありどうしてもそうなってしまう。次回は「情報」について書くなどとぶってはみたもののまたもやテ−マが複雑かつ広範囲に渡るので、個人的経験を通して私見の一部を述べるにとどまるだろうがお許しを。
とここまで書いてまた悩んでいた…。ううん。。
詳しくは書かないが私は一時世の中から隔絶され生きていた。どん底に居る状態で名古屋に流れ着いた。立ち直った今振り返ってみると結果オ−ライだったというだけで当時のことは自慢できることなど一つもない。多くの人に迷惑をかけた。
役に立ったのは世の中を外側から見ることができたことだ。それは同時に自己を内側から見ることだった。そのことについてはいつか機会を見て書くかもしれないが今は置いておく。とにかくその時私は世の中に溢れる情報というものがいかに歪んだものかということに気付いた。そしてそれまでの自分がいかにそれらの情報に振り回されて生きていたかを知った。自分の嗜好や意思までも意識下のレベルで操作されていたことに愕然とした。
それから僅か10年程しか経っていないが、世間に流れる情報量は格段に増えた。そして私にはここのところ特に、情報の波に人々が翻弄されているように見える。不景気報道、新型インフルエンザ騒ぎ、禁煙嫌煙ブームなどなど。。町を歩けば高そうなお犬を連れた人がゾロゾロ居て、ヒップホップダンスコンテストには小中学生の子供にピアスだの化粧だのさせた上にインストラクタ−さまに「おつかれさまでした〜」と挨拶させてる母親が集まり、若者はお互いにテレビ芸人みたいなマナーで会話している。エコだロハスだといいながらETCが安くなればそぞろ出かけていってガソリンと金を使い、オ−ガニックとか言うわりに電気増幅させた大音量の音楽で野外で集まって踊っている。皆さんそれほんとうに好きでそうしたくてやってんの?とよく思う。流行というものは集団の中には必ず起きる。しかしそれが動物を含め他者の生命とか教育に関わる時には一定の歯止めがあってしかるべきだ。
だが乗せられてる方の罪は軽い。悪いのは情報を大規模で発信する側だ。メディアとそれに出資する企業に「義」とか「道」が無く、「利」のみによって動いているからだ。今の世には自己、自社、自国の「不利」にならないように統制された情報が錯綜しているだけだ。「真実」というものは誰かの不利となるものが多いがために大概において隠されるか消されるのだ。大道も情報の世界ではその光を失っている。
この程度のからくりが見抜けない純真な人々は世界中にいる。私の田舎の両親だってそうだ。自分が現実に接している範囲外のことを認識する頼りがメディアしかないのに、流れてくるのは「無関心でいろ」と「消費せよ」というメッセージが隠されているものがほとんどだ。
「私は大丈夫」と思っているあなたそして私、本当にそうだろうか。今の私は昔とは違う暮らしを送っている。時々自分のことを点検してみるようにしているが、知らず知らずのうちに枠内に引きずり込まれていることは多い。まだまだ修業が足らん!!






