スナック宇宙の響き
このコラムもじきに100回めを迎える。タイトルは連載開始当時に流行っていた漫画のタイトルをもじってつけたものだが、たった二年経つだけでやや古い感じがするとはまあなんともはや。近頃は流行りものの作られる周期も短く、それに乗せられるほうも忙しいことだ。
稿料を頂いているわけではないので気が向かない時には休んだりしてもよかったかもしれないが、一週も休まなかった。これで毎回充実した内容であったら自慢もできたろうがいまさら悔いても後の祭りである。バックナンバーを読んで私自身の頭の中の散らかり様に我ながら驚いた。
いったい読者がいるのかどうかも知らないのだが、「スナック宇宙」と題した回には知人友人から小さな反響があった。私の精神状態を心配した方々、全く内容が理解できないという方々、ずばりと腑に落ちたという方と様々だった。前二者の感想は私の文章力の不十分さから与えたところも大だとは思うが、ひらたく言うと「この人とうとうイッちゃって突拍子もないこと言ってるわ。大丈夫かしら…」というニュアンスも含むことだと思う。
しかし私は心身下半身ともにいたって健康である。世の中の大半の人の方がよほど狂っていると思うのだが。私の一番の理解者は「あなたはマトモ過ぎるのよ」と言う。それもまた偏していると見れば一種の狂気かもしれないが。
あなたの目に映る全てがあなた自身だという感覚/認識/考え(実はこれの言葉のいずれも当て嵌まらないが)は、常識の範囲内では全くのデタラメである。
花は花である、それを見るあなたは花ではない。植物は種子から育ち光合成を行い花を咲かせ子実を残しやがてすぐ枯れる。動物であり、その中でも人類であるあなたとは生物学的に見て全く違う生命体である。だがその一般的常識、科学的見解が「今」眼前にある花とあなたとの間において有用か。或はあなたの生きている瞬間々々に深く関係が有るか。
他方あなたが理屈抜きにその花を我が身とする時、花に成り切った時、そこには慈しみの感情や美を愛でる心、安らぎが生まれはしないか。理知上での対象への認識よりもこの感覚の方が…シンプルに言おう…心地よくはないか。そういう心の眼を以て自分の眼(まなこ)に映る全てを看れば、おのずと自分の態度は今までとは変わってくる。自分に還されるものも変わってくる。しかしその時点では既にやってあげる、あげられるということも無い。自他の区別が無いのだから心は自由に飛び回りはたらきは自在である。そう感じている方が世界はよほど住みやすくはないか。「生」をより実感できるのではないか。
私はギターがなかなか上達しないのは精神的修養が足らないためだと考えていて、日々の中でわりとこういうことを考え/感じている。生れつきこういう資質かというとそうではなく、人生のある時点までは全くの俗物であり奴隷であった。私は「私」に出会ったのは28才頃のことだったが(この書き方はまた誤解を招くか)、その出来事が起こったのはあるものを絶っていた事が原因の一つだったと回想して思う。そのあるものとは、
「情報」である。
次回はこれについて書こうと思う。
つうわけで、続く。






