「スナック宇宙」
自分のことはさておいてミュージシャンには感受性が強すぎる人も少なくない。この狂った世の中で生きていくにはナイーブすぎるのだろうという人は私の友人知人にも多く居る。彼らはこの嘘にまみれた現実世界を嫌い、そこから生まれる商業主義の産物でしかない音楽を忌む。自分は生まれる世界を間違ったと思い悩む。
こういうタイプはもともと真面目で優しい人間に多いと思う。他人のことはおかまいなしに自分のやりたいように振る舞える人間はそれらの悩みはもたないし、自己を通すことは良し悪しこそあれ結果のようなものを出すことにも繋がる。
そのように振る舞えない者の中には、今のような世の中では自分はやっていけないと自ら命を絶つ人や精神を病む人も少なくない。私もどちらかというとこちらのタイプだ。しかし私は世を拗ねてもしようがないと思っている。それは手の付けられない過去を悔やむようなものだからだ。ナンチャッテ音楽が世界中に蔓延るのも、人の心まで機械化しているのも、貧乏人は苦しみ金持ちだけがいい目を見るのも、我が国が敗戦後アメリカにF××Kされ続けているのも、世界中のお金で買えない大事なものが資本主義に蹂躙されてきたのも、人間が愚かな動物として生まれてしまったのも、今さらどうしようもないことだ。それらは全て過去であり、人類が望んだところの結果、つまり好きでやってきたことの集大成のこの世界であり、今更根本的に変えようもないのだ。そしてこの世界とは他ならぬ私自身ではないか。この世界に生まれたのも私であり、私が消滅すればこの世界も消えてなくなる。自分が死んでも世界は消えないだろう、何を馬鹿なと思うかもしれないが、死によって自己をも覚知
できないとなれば世界もまた同じではないか。あなたが亡き人を偲んでいるこの世界もあなたが亡くなった時点で消滅する。あなたが何を残そうともあなたはそれを知ることはできない。あなたの居た世界は終わってしまったのだから。
世界は今自分の目に映っているものでしかない。すなわち自分自身であると私は思っている。長い年月を経て形成されたこの地球も人類の今までの歴史も今周囲に居る人も居ない人も愛する人もどうしようもないバカもギターもテポドンも自分自身である。これは物は言いよう、とか受け止め方次第とかいう次元の話ではない。私達はとかく見聞きしないでもよい情報に晒され、操作されロボット化されつつある。ゲームの駒であれと常に洗脳を受けている。枠組みのある一つの世界を共有していると錯覚させられている。精神的に独立するな、ましてや行動など起こすな、自己の主人公になるなと言われている。しかしいかに洗脳されようとも周囲の世界を認識するのは個人それぞれの五感であり、食事も排泄も睡眠も自分で行わなければならない。それらの点は誰にも侵せないしまた代行もしてくれない。私達は一人一人別の世界を生き、生かしていることは忘れきってはいないと思う。
私はこの世界が私であるならば能動的、実際的に変える余地も術もあると信じている。世の中はいつの時代だってくだらないのである。それに負けることは自分自身をくだらない人間にしてしまうことだと思っている。私が自身に本来備わっている人間性に反せずに生きられたら、世界は必ずニッコリと微笑みかけてくれるだろう。
話が散漫だが続く。






