ギター教室2
学校の後輩にギターを教えるという程度のことを数え入れると、かれこれ20年ほどそんなことをやっている。楽器店のギター講師などの経験も経て、今では個人的に初心者~中級者向けにレッスンをしている。世の多くのギター教室には悪いがレッスン料金は安くしている。私は大学などで専門的に教えられるほど優秀な教師ではないし、なにより自分にとっても学びの場であるから生徒さん達ばかりに負担をかけたくないからである。これを自分が食う手段にしたくない。私自身が成長するためにもありがたい場であるのだから。
楽器の演奏技術の向上とその上に成立する豊かな音楽表現には精神と肉体両面においての修練が必要であり、その取り組み方には個人差が生まれる。言い換えればその人の個性が見てとれる。物言いひとつにもその人の性格が出るのと同じように、楽器の習得を通じてもその人のある様がよく分かる。そのようにさまざまな性質をもった人達に接することは、私自身の性質を知る上でも有効である。
私達大人は社会経験の中でよくも悪くも「できあがって」いる。自分なりの知恵や知識、先入観を持ち、自分自身や他者、それを取り巻く世界のことを自分の判断基準を以て評価、規定している。簡単に言うと世の中こんなもんだろ、と思っている。ギターを始めても、自分には難しそうだとか、向いていないとか、できないと恥ずかしいとか色々考えてしまう。同じことを何度教えても聞いていないくせに上手くならないと悩み、練習もしないのに曲が何日くらいで弾けるようになりますかと聞く。生徒さんのほぼ全員に当て嵌まるのは、大人になる過程で身についてしまった諸々が上達を妨げているということだ。それを見る私は同時に自己の内にある余計なものに気付くことができるし、相手を導いてやれていない自己の非力を知る。
端的に個人的意見を言わせてもらうと、ギターの上達に最も必要なのは余分なものを捨てていくことである。それが演奏に必要な身体と心の動きを妨げているだけだと思うのだ。まだ余計なものが身についていない子供の時分から楽器を始められた人は幸運であるが、我々大人でも努力すれば子供達のようにぐんぐん上手くなるはずだ。もとは我々だって子供だったのだ。曇りのない眼をもって何事にも熱中でき、肩の力も入らず、自己の可能性の限界を自分で設けたりしなかったはずなのだ。
えらそうなことを書いている私はパジャマのまま携帯メールでこれを打っている。今日はまだ練習もしていない。だからいつまでたっても思うように上手くならないんだなあ。。
(漫画は本文とは関係なく次回へ続く)






