非調和の調和
前回の続き。
人は長時間無意味な音を聞き続けることには耐えられない。たいていの人は、そこに何かつじつまの合ったもの、「意味」というべきものを探そうとする。あるいは自分の脳内で勝手に作り上げようとする。
前回とんでもない合コンに例えたように、バーKUKUでのセッションは一聴したところ調和しない音のぶつけ合いである。特定の曲を演奏するわけでもなく、事前に打ち合わせるわけでもない。せーの、で楽器の音を出すだけなのである。その様子は前回例に挙げたように、複数の人が同時にてんでばらばらの話をするのに似ている。
ではその場に居合わせてしまったら、あるいはその会話(=セッション)に参加する羽目になったらどうするか?
その「非調和」の状態をそのままで「調和」していると感じる、いやそこまでいかなくてもありのままで受け入れることが必要になるのだ。
普段の私達の会話は、言葉の意味、用法、文法が整然とされた上で成り立っている。
音楽も同様に、ルールの上で成立するとされている。一般的な例を挙げると、カラオケでリズムもメロディーも外してしまう人は「下手」で、「ダメ」だと決め付けられている。だがそれは西洋音楽的なルールに基づいた見方であるだけで、絶対的な基準ではない。
カラオケの下手な人を見て笑っちゃうことがあるのはそれが「ダメ」だからか?
そればかりじゃないはずだ。「笑い」を起こすということはそれによる気持ちよさがあるからだ。ある一つの判断基準によると「ナシ」かもしれないが、その基準を外せば気持ちよければなんでも「アリ」じゃないか!?
そういう音楽の聴き方が、KUKUセッションを楽しむ一つの方法なのだが、
この場合は「カラオケの下手な人ショー」よりももっとハイレベルだ。「アリ」と「ナシ」なんて言ってるどころではない。全てが「アリ」で同時に全てが「ナシ」だ。一般的な意味合いの「音楽」ではない。もはや哲学的でさえある。いやそれも違う。身をもって体験しないと絶対に分かり得ない、何にも規定されず生き生きとした何かがここには有る。
…無い時もしょっちゅうある。
ダメじゃん…。
(漫画は本文とは関係なく次回へ続く)
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「気功コミック 十八式」






