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半農半音楽

Coupレーベル渓

渓(ケイ):COUP(クー)レーベルをグラフィックデザイナー高橋佳介(株式会社クーグート)と’99年に立ち上げ、以来制作を担当する。自身もギタリストとしてEtt(エット)のリーダーを務める傍ら多ジャンルに渡る演奏活動と各地でのツアーを行う。 '08年には通算4枚目のソロアルバムTamatsi Maxa Yuawi (タマツィ・マラ・ユアウィ)を発表した。CM音楽などの作曲や、ギター講師も務める。

ブログ:記事一覧

2012/01/01

最終回/所感20111224

現代の芸術音楽というのはいわば知の産物という気がするのです。民族的感情や牧歌的心情の上に安穏としていられる音楽というのももはやそうはないわけですが、作業歌や民衆の統制を取るための音楽、大勢で演奏する音楽の大多数、商業と結び付いた音楽、そして芸術音楽にいたっても知というものの助け無くしては成立しえません。
今人類は新しい局面に際しています。音楽も同様なのではないでしょうか。今私達の持つ「知」はその不完全性を露呈しつつあります。
私達自身も音楽も知のみに頼らない次の段階へと行こうとしているのではないでしょうか。フリーインプロはその胎動の一つだという気がします。無責任な発言ですけど。
でもって 続きを読む…
2011/12/26

所感20111222

多くの先人達と同じく(あえてそう言い訳っぽく書くこともないのですが)、芸術とは自然の写しであると私は思っています。
即興演奏者が自然の理に沿うことができた時、全ての音は音楽になり得るはずだと思うのです。自然と書くと抵抗を感じる方にはその場に存在する空気とでもいいましょうか。
ここで少し話が逸れますがフリインプロが盛んなのはほぼ都市部です。地方ではより安楽な調性感とリズムを持った音楽(学)的構造の単純な音楽が好まれます。
フリーインプロは元々フリージャズ由来ということもあり、地方社会とは無縁のあらゆるネガティブな要素も含んだ音楽とも考えられがちかもしれません。
都会人の病理を示すような一 続きを読む…
2011/12/19

所感20111215

「なぜならこれはビジエスではないからだ」
と謎の言葉を残して終わった前回でしたが、単に「ビジネス」と打つのを間違えただけです。
ここのところ変なこと書いてたけど遂にイカレたかこの人、みたいな感じが期せずして出てましたねビジエス。
即興演奏については演奏する人の数だけの持論があるということ、そしてそれをぶったところで核心から逸れていくということが分かった気がしますな〜。
いやいやそれで終わっとったらあきまへんねん。
非楽音を含むフリーインプロヴィゼイションは素晴らしい音楽になる可能性があると私は思います。
しかしその妙はそれがあまりにも「音楽」であるために文章には捉えがたく、録音物 続きを読む…
2011/12/12

所感20111211

前回の続き。
演奏者に音楽理論や演奏技術の習得を迫らずとも実行できるという意味で即興演奏は非常に門戸の広い芸術だと言えるのではないか。
ただしそれが芸術として、音楽として成立するかしないかは別の問題である。演奏者の人格があらわになるのを見るというのはそれはそれで尊いことだが、必ずしもそこに聴衆を楽しませる芸術、音楽が現れるとは限らないようだ。付け加えて言うが先週分の最後に述べた純不純、快不快の問題とこれは少し異なる。
全人格をかけた、あるいはそのつもりで出した純粋な音も芸術には達しないこともある。全ての人格は尊重されるべきだが芸術というのはそこからさらに出なければならないと私は考える。これ 続きを読む…
2011/12/05

所感20111203

前回の続き。
私の述べた「論理を超えたもの」についての説明などを。
それは通常私達が音楽と認識するのに頼りにする論理を超えたものであるという意味合いが先ずひとつ。つまりリズム、メロディー、ハモニという三つの尺度で規定される世界に留まらない音ということである。
その三つの尺度は私達が音楽というものを体系化してゆく段階で生まれたものであり、音楽を測るあるいは指し示すものであるが決して音楽の本質ではない。それらに終始することは時に音楽を死物に等しくさせてしまう。器用だが全くつまらない演奏家とその音楽の例は少なくない。
一方、非音楽的な即興演奏者は音楽教育の染み付いた音楽家に比べこの点では自由で 続きを読む…
2011/11/28

所感20111121

続き。
即興演奏者が音楽的あるいは非音楽的手法により手繰り寄せようとしているものは何なのか。
その先に在る何か、に向かって自覚を持って音を出していない演奏者による即興演奏はたしかに聴き苦しい。そしてそれは個々の本来の演奏力の差とは関係ない。例えば普段は上手な演奏家に退屈な即興演奏を聴かせられるようなことは少なくない。
それより以前の問題かもしれないが即興演奏の鑑賞についても難しい問題が横たわっている。上に述べたような演奏も私がそう感じるというに過ぎない。演奏者と鑑賞者の間、さらに同じ立場同士でも一つの演奏に対する感じ方は往々にして異なる。
どれが良くてどれが悪いのかを決める基準は無 続きを読む…
2011/11/21

所感20111117

続き。
即興演奏者が音楽的あるいは非音楽的手法により手繰り寄せようとしているものは何なのか。
それは音楽ではないとも言える。何故なら演奏者が音楽家の資質を持たない場合にも現れることがあるからである。
一般的に言われるところの「音楽」はたとえ原始的なものであれ前述した三大要素との関わりは大きい。その場合演奏(歌唱)者には大なり小なりの音楽的資質が求められる。しかしそれは非音楽的なほうの、つまり楽器が弾けない即興演奏者には当てはまらない。原始人が木の実などを一定の間隔で打ち鳴らす「音楽」に比べても楽器未習得者による即興演奏は非音楽的である。
しかし即興演奏は音楽の更なる地平あるいは常に音楽 続きを読む…
2011/11/14

所感20111111

即興演奏について考えるという愚行の続き。
私が「勝手に」即興演奏は最も芸術的だと考える根拠は以下であると先週書いた。
1.それは演奏者と同じ場でしか味わえない(痕跡を残さない)
2.それは音楽によってより高次元と繋がろうという試みである
3.それは一切の形式を持たない
4.誰にでも門戸が開かれている
5.興行的には決して成功し得ない
(順不同)
1から4までの項目は各々が結び付いているため、項目ごとの説明はしない。
即興演奏の妙というのはその場に居てこそ最大限に味わえる。何故ならそれは記録可能な「音」以外の部分に在るからである。
フリージャズムヴメント初期に行われたのは主にジャ 続きを読む…
2011/11/07

所感20111104

今までのコラムで自分でも面白かった回を保存しようとしている。
そのついでにと言うとなんだが、音楽についての自分の考えを後の自分が読み返すために書いておこうと思う。よければしばしのお付き合いを。
コラム開始当初から触れてきたが、『即興音楽(演奏)』については演奏者と聴衆の数だけの意見が有ろうが私のもその一つ。
天才とナントカは紙一重とよく言うが、即興演奏もまた最も純粋な芸術音楽と単なる雑音と紙一重の処にあると思う。
最も芸術的だと考える根拠は以下のものが主だ。
1.それは演奏者と同じ場でしか味わえない(痕跡を残さない)
2.それは音楽によってより高次元と繋がろうという試みである
3.そ 続きを読む…
2011/10/31

最終回に向けて

インターネットの使用を止めようと思っている。
個人的なことなので詳しくはブログに書いているのだが、それを実行するに当たりこのコラムも最終回を迎えることになってしまう。
読者の存在は残念ながら私は数人の知人友人を除くと知らないのだが、もしいらっしゃるならこの度の勝手な打ち切りに関して深くお詫び申し上げると同時に、厚く御礼申し上げたい。ご愛読真にありがとうございました!!
最終回がいつになるかはまだ分からないのだが、現在の「半農半音楽」というタイトルに乗っ取って思い付くことを書かせていただこうと思う。
あらたまってみているつもりだが結局いつものなぐり書き同然かそれ以下のものになるのだろう 続きを読む…
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