2010/02/08
半農半達磨
ほうれん草が林檎のような味がする、と先週書いた。それからやや成長したので収穫して食べてみた。すると味がやや変わっていた。野菜としてしっかりしてきた分が味にも出ており、果物のような甘味だけが目立つ感じが薄れた。こういう時にふと、ああ、自分だってそうだな、とハッとする。そりゃあ野菜だって育てば味も変わるよな、なんでそんな当たり前のことを見落としていたのだろうか、と気付く。枯れてしまえば食べられない味になることは承知だが、それも味の変化の延長線上の一面である。さらに言えば食べられなくなったというだけで植物はその後も変化する。種となり複数の新しい命となる。
そしてその変化にはほうれん草とそれ 続きを読む…

野菜作りを本格的に始めるようになってから、物事をより長い目で、広い視野をもって眺めることができるようになった。もう四十も越えたので自然とそうもなろうが、数ヶ月間で繰り広げられる植物や虫達の一生を観察し続けていることは多分に影響しているように思う。
酔っ払って入った中華料理屋で唐揚げとビールを楽しんでいたら、妙な音が耳に入ってきた。店内のテレビで、素人のアカペラグループが歌声を競い合うという番組をやっていたのだ。音楽に対する各々の無理解具合と、審査している音楽家達のリアクションに驚いた。しかし最も驚いたのは各々がレパートリーに選んだ楽曲群とそれらに施したアレンジがある一つの様相を呈していたことだ。近頃の歌謡曲はどれも似通っているが、それらが無伴奏のアカペラで再現されることでメロディーやハモニの特性がよりあらわになり、共通した音楽的特徴が見えたような気がした。
先週の続き。私なら断然写真右側の草の生えた地面に居たいと思う。もし左側のような地面で同じ作物だけがズラッと並ぶ栽培方法だけが農というなら、私は農に興味を持たなかっただろう。それでは作業は苦痛と忍耐を強いられるのみの労働という印象を受けただろう。怠け者で快楽主義的傾向があった私は見向きもしなかったであろう。
一月八日、今年初めて畑に行く。食べる分の野菜を収穫し、成長途中の作物に手をかけてやり、未だ途中である開墾作業を再開する。
冬の長野に行ってきた。酔った時に歌う自作の春歌をライブハウスでやってほしいという奇特な方々に呼ばれたのだ。わざわざ交通費を出して呼んでいただいたのでここはちゃんとやらなければ、と思ったのが裏目に出たのかいまひとつな出来だった。そもそもが出来も何もないただの酔っ払いの戯れ歌なので本来の姿をお見せするべきだったかと反省。考えてみると私の酔歌を皆さん期待されていたのだから飲まないのはかえって失礼というかアティストとして怠慢だったか。
レパートリーのほとんどが食べ物に関する歌、という上野茂都(しげと)さんという方がある。私も年に一、二度共演させていただいていて、毎度客席が沸くのを見ている。
彦星にとっての織り姫ならば、サンタにとってはトナカイ???ああ悲しすぎる老人の事情!過疎の進む北欧のどこかでの動物達との交流!ああ北の王国(意味不明)!
今回はライヴ告知。このコラムで何度か触れた私とギタリスト臼井康浩氏のデュオflylineですが、



